02.03.11:50 [PR] |
11.22.21:40 ポルトガル旅日記3 |
4日目:11月12日(水)
今日は今回の旅程の中で一番ぎっしり詰まった忙しい日でした。
早めにブサコを出発し、南に下がってまずバターリャで向かいます。
「戦い」という名前の街バターリャでは、世界遺産「勝利のサンタ・マリア修道院」を
見学しました。
1388年に始まった修道院の建設は16世紀初頭まで続けられ、
ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築の一つといわれています。
内陣のステンドグラスが美しかったです。
こちらは100年ほど工事が続けられたものの、未完に終わった礼拝堂です。
一説によるとリスボンのジェロニモス修道院を建てるために費用の工面がつかなかったとか。
その後、東に移動して「ファティマの奇跡」として有名なファティマの
バジリカを見学しました。
「ファティマの奇跡」とは第一次世界大戦中の1917年5月13日、羊飼いの
三人の子供たちの前に聖母マリアが出現したというものです。
当時はオリーブの木が点在するだけの荒野でしたが、今では荘厳な教会(バジリカ)が建ち、
カトリックの聖地となっています。
毎年5月13日と10月13日の大祭には、バジリカ前の広場は10万人以上の信者で
埋め尽くされるそうです。
先日ご紹介したメダイはこちらで購入しました。
さらに東に移動して、次はトマールの世界遺産「キリスト修道院」を見学しました。
この修道院はポルトガル最大の規模で、マヌエル様式の最高傑作の一つです。
特にこの大窓の装飾は典型的なもので、大航海時代を象徴するロープ・鎖・海藻・
珊瑚・南国の果物・地球儀などの意匠が散りばめられています。
夕方だいぶ遅くなってから、さらに南のエヴォラに到着。
見学予定のカテドラルは見学時間が終わったために、明日に持ち越しになり
バスでエストレモスに移り、ヴァスコ・ダ・ガマが訪れたといわれる
丘の上の古城を改築したホテル「ポサーダ・デ・ライーニャ・サンタ・イザベル」に・・・
相当遅い時間になったのに、バスは入れない地域ということでバスを降ろされ、
急な石畳の坂道を10分ほど登ることに・・・
本当に疲れた一日でした
明日につづく・・・
今日は今回の旅程の中で一番ぎっしり詰まった忙しい日でした。
早めにブサコを出発し、南に下がってまずバターリャで向かいます。
「戦い」という名前の街バターリャでは、世界遺産「勝利のサンタ・マリア修道院」を
見学しました。
1388年に始まった修道院の建設は16世紀初頭まで続けられ、
ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築の一つといわれています。
内陣のステンドグラスが美しかったです。
こちらは100年ほど工事が続けられたものの、未完に終わった礼拝堂です。
一説によるとリスボンのジェロニモス修道院を建てるために費用の工面がつかなかったとか。
その後、東に移動して「ファティマの奇跡」として有名なファティマの
バジリカを見学しました。
「ファティマの奇跡」とは第一次世界大戦中の1917年5月13日、羊飼いの
三人の子供たちの前に聖母マリアが出現したというものです。
当時はオリーブの木が点在するだけの荒野でしたが、今では荘厳な教会(バジリカ)が建ち、
カトリックの聖地となっています。
毎年5月13日と10月13日の大祭には、バジリカ前の広場は10万人以上の信者で
埋め尽くされるそうです。
先日ご紹介したメダイはこちらで購入しました。
さらに東に移動して、次はトマールの世界遺産「キリスト修道院」を見学しました。
この修道院はポルトガル最大の規模で、マヌエル様式の最高傑作の一つです。
特にこの大窓の装飾は典型的なもので、大航海時代を象徴するロープ・鎖・海藻・
珊瑚・南国の果物・地球儀などの意匠が散りばめられています。
夕方だいぶ遅くなってから、さらに南のエヴォラに到着。
見学予定のカテドラルは見学時間が終わったために、明日に持ち越しになり
バスでエストレモスに移り、ヴァスコ・ダ・ガマが訪れたといわれる
丘の上の古城を改築したホテル「ポサーダ・デ・ライーニャ・サンタ・イザベル」に・・・
相当遅い時間になったのに、バスは入れない地域ということでバスを降ろされ、
急な石畳の坂道を10分ほど登ることに・・・
本当に疲れた一日でした
明日につづく・・・
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